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中年ゲイがうつ病発症にて人生の休憩へ

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うつ病になると身体に起こること

身体の電池がどんどんなくなっていく感覚

毎日普通に入れていたお風呂がなんでこんなに面倒なんだろう?

それが、身体に起き始めた変化の始まりでした。

そこから、どんどんと出来ない事が増えていき

鉛でも背負っているかのように体が重く

布団からも出れないような状態になっていきました。

うつ病とは気づかずに何処か体が悪いのかと思い

内科にいき、血液検査、エコー等をして頂いても全て正常。

そこで、初めて心の病気なのかもと思いました。

人と会うことが恐怖へと

この時、すでに個人サロンをしていたぼくは

仕事が出来ない日がどんどんと増えていきました。

接客をする=お風呂に入る・身だしなみを整える。

サロンの清掃をする。

この普段当たり前にできていた事が本当にしんどく辛く出来ないんです。

なんとか準備ができても、一日一人接客するので精一杯でした。

・来店時に伴う普通ではない緊張(声が震えてくるレベルの緊張です)

・鏡に映る自分が異常にやつれて見えて、そう思われてしまう不安。

この頃には、人と会う事が恐怖へと感じはじめていました。

接客業としては致命的です。

もう無理だと感じた出来事

その日も、なんとか準備をしてお客様が来店。

施術の最中にパニックになってしまったのです。

施術ができるような状態ではなく、お客様に事情を説明してお帰り頂く事に。

もう、無理なんだなとその時感じました。

この頃には、一日何も食べなくても全くお腹が空かず、近所のコンビニへご飯を買いに行くことも、遠い何処かに出かけるくらいの労力を使う感覚でした。

店を閉め実家へ帰ることを決意

実家の母に相談し、お店は閉めて実家に帰ることにしました。

その時、来て頂いていたお客様には本当に申し訳なかったのですが

なんの告知もなく、ただホームページを削除し閉店という形になりました。

その時は、告知をすることすら出来ない精神状態だったのです。

この場を借りてお詫び申し上げます。

引越しは朝一番。

それまでに荷造りをしないといけないのですが

これもまた、身体がいうことをきいてくれません。

少しやっては休み、少しやっては休み

徹夜でなんとか、引越し屋さんが来るまでに荷造りは終わりました。

心療内科

安定剤と睡眠薬

うつ病の症状の一つとして、寝れなくなると言いますが、ぼくも寝れなくなっていました。

心療内科へ通い【安定剤】【鬱の薬】【睡眠薬】を出して頂いたのですが

自分に合った睡眠薬が見つかるまで色々と薬を変えて試しました。

寝れるけどすぐに目が覚めたり、一度目が覚めたらそこから寝れなかったり。

寝るという今まで普通に出来てたこと。

寝れないという事がこんなに辛いのかと、うつ病になって初めて知りました。

今でも、安定剤と睡眠薬は飲んでいます。

焦らず、徐々に時がくれば辞めれればいいな位で思っています。

心のサインを感じたら病院を受診しましょう!

今は、安定しているので心療内科にてカウンセリングは受けず

お薬だけを処方してもらっているのですが

心身の状態に異変を感じた時は、病院に行くことをおすすめします。

一人で抱え込まず、今の自分の状態を先生に話してみましょう。

その時の体調にも左右されるところはあると思いますが、この先生は合わないなと感じた時は無理して通わず、違うクリニックに変えて行ってみましょう。

本当にしんどい時は、クリニックに行くのも辛いかと思います。

今は、有難い事にスマホさえあれば簡単にクリニックを探せます。

今まで気づかなかっただけで、近所にあったりするものです。

ぼくも、薬とカウンセリングには凄く救われました。

診療内科は特に先生との相性も大きく影響すると思うので、自分に合った先生を是非探してみて下さい。

実家での休息

ほぼ寝たきり状態へ

廃業届けを出し、実家に戻ったぼくは無職です。

仕事を辞め、帰る家があった事。

まだ、母が元気で食事等全ての事をやってもらえる環境があったことは、本当に有難いことでした。

実家に帰ってからのぼくは、一日を布団の中で過ごす生活でした。

・カーテンが開けれない(朝、昼、夜)を感じるのが怖かった為

・テレビ、ラジオ等が見れない(聴けない)全く無理になりました。

日々を感じてしまう行為を全て拒絶していた気がします。

布団で一日を過ごしていても、母がご飯は作って持ってきてくれていたので、今思い返しても感謝でしかないです。

日が経つにつれ、無職である事が異常に辛く感じるようになり、スマホにて転職サイトを毎日毎日見ていました。

職を探している。

その事で、安心感を得たかったんだと思います。

何ヶ月か過ぎた頃から、面接希望の電話をかけたりもしたんですが、当日行くことができず電話をして断る。

これの繰り返しで、また罪悪感が押し寄せてくる。

でも、仕事を探していないと落ち着かない。

そんな日々が続き、このまま働けないんじゃないかと思うようになり、生活保護の相談にも行きました。

そこまで、気持ちは追い詰められていました。

回復へと向かうきっかけ

実家に帰り一年近く経った頃

母が体調不良の為、大きな病院で診てもらうことになり

目眩、吐き気がひどく

心配だったので付き添って病院へ向かいました。

確か、病名としてはヘルペスだったと思うのですが、即入院となりました。

この事が、きっかけで実家に帰り必要な物を運んだり、色々な手続きをしたり、自分が動くしかない状態になったのです。

幸い姉が実家の近くに住んでいるので、二人で協力しながら。

と言っても、姉も仕事があるため基本僕が実家と病院を往復していました。

食事は、母の友人達が日替わりで家に持ってきてくれていました。

これは本当に助かりました。

これがきっかけとなり、鬱の症状がどんどん軽減されていきました。

実家に戻り、無職となり

ほぼ毎日寝たきりの生活になってから一年以上が経ち、やっと日常の生活に戻れつつある自分を感じていました。

今となっては

あの時、僕が実家にいてくれて本当に助かったと母は言ってくれます。

ぼくも、あの時母がいてくれて本当に助かりました。

仕事ができるレベルまで回復

もう、個人でサロンを再開することは無いと考えていたぼくは、三宮にある転職希望先の男性スタッフ求人へ電話をかけ面接に行くことにしました。

この事が、更に症状を改善してくれて

今があります。

sada’s point

うつ病は、誰がなってもおかしくない病気だと思います。

今、こうして普通に生活できるようになったぼくがいえる事は

なってしまったら、とにかくゆっくりと休んでほしいです。

頼れる人がいるなら頼りましょう。

もし、そういう人がいない時には

生活保護を受けてでも、人生を一旦休んでほしいです。

超えれる期間や治る度合いは人によって違うとは思いますが、

もう一度、心から笑える日は来る

自分を信じてあげてほしいです。

【ぐるりのこと】

是非、見ていただきたい作品です。

すごく優しい気持ちにさせてくれます。